麻婆豆腐って美味しいよね

思ったことをそのまま書くので文章が乱雑になるのが特徴。

スマホ使いすぎじゃない!?って最近なっている話

いきなりだが、『ウルトラセブン』8話に「狙われた街」というお話がある。

このお話はメトロン星人という宇宙人が、地球人の吸う煙草に”宇宙ケシの実”というものを仕込んで、吸い込んだ人間を狂暴化させて地球人同士を争い合わせようと暗躍するものの、ウルトラセブンに妨害されるというもの。

 

そして『ウルトラマンマックス』24話「狙われない街」という話もある。

これは上記のメトロン星人が登場する。

舞台は昭和から平成に代わり、出てくるアイテムも煙草から携帯電話へと変化した。

今回は携帯電話に電磁波を流して、地球人の脳を委縮させ無気力化・狂暴化させることで再度地球侵略を目論んでいた所を、またしてもウルトラマンマックスに妨害されて……という訳ではなく、実際には携帯電話などの便利ツールによって、地球人は自滅的退化を始めており、放っておいても勝手に滅びると判断されていた。

メトロン星人はそれに乗っかってちょろっと手を加えただけだった。

そして、メトロン星人は地球を去り、故郷へと帰っていく。そんなお話。

 

そして、我々が住む現実の世界。人々はスマホを一日に4時間以上見ている…らしい。

何故、私がメトロン星人の回を導入でしたのかというと、このお話が現実味を帯びてきている気がしたからだ。

2005年放送の『ウルトラマンマックス』については、おそらく風刺ではあると思うけれど、それを鑑みても、現実はもっと深刻なんじゃないかなとも思う。

 

現在では2歳児からタブレット端末を使っていると聞きます。

駅ではほぼ9割の人間がスマホの画面に夢中になっている光景を目にします。

かく言う私もその中の一人ではあるのですが。

 

先月くらいに書店にて『スマホ脳』という本を購入して読んだ。

それを読んでから、自身のスマホ使用頻度を下げようと努力をしている。

 

 

スマホを利用することで、色々な情報をすぐさま仕入れることができるし、

全国の人と繋がることも容易だし、良い事尽くしである反面、

睡眠障害、うつ、記憶力や集中力、学力の低下、依存」と言ったことにも影響を与えていく。

 

もうまどろっこしい事はあれだが、とにかく、私のフォロワー全員に『スマホ脳』を読んで欲しい。

私の稚拙な文章では伝えられないことも、この本は全て話してくれる。

何より脳のことや精神科の詳しく話せないんですよ。私は専門家じゃあないんだぜ。

 

でも考えてみれば、スマホが近くにあると集中って出来なくないですか?

事あるごとに、スマホに手を伸ばしTwitterとか見ちゃいませんか。

動画見ながら、テレビ見ながらとか、人と会話をしている時ですらも使っている人はいる。もうめちゃくちゃ依存しているなって思いますよね。

一応それについての解説も書いてあり、読んでいて「ほーなるほどー」となってしまうわけよ。

 

鬱についても、SNSを使う事で他人と自分を比べて嫉妬をし、そして病んでいくらしいのだ。

これはスマホに限った話ではないが、スマホが身近にあることで、手軽に他人の良い体験を見ることができるし、それによって相手に対して嫉妬を起こらしいのだ。

これについては、前回の動画が作れなくなった記事でも同じような感じのことを書いているのだ。クシクシ

 

ここまで書きまくってはいるが、何もスマホの利用を0にしよう!って言っているわけではなく、使い過ぎている利用頻度を少しでも減らそうって思っている。

なので移動中はなるべく、スマホを鞄にしまい読書に徹しています。わからない単語が出たら適宜調べる感じで使っています。

 

因みに人と居る時も極力スマホは見ないようにしようと思っています。

使っている所を見ると、他人も使いたくなってしまうらしいので。

 

そんな感じで『スマホ脳』現代社会に置いてめちゃくちゃオススメの本なので、

書店で見かけた際は是非買って、読んでみてください。

 

 

後、『ウルトラセブン』8話「狙われた街」もよろしくな!!!

 

動画作成をしていたけど臆病になり過ぎて作れなくなったっ話

私は昔から動画とかを作成してネットに投稿したりなどしていたのだが、最近は全くといっていい程、最後までやり遂げることが出来ない。

でも、投稿をまた再開したい。

 

今回はそんな心の闇に蔓延る思いを書き連ねていきたいと思います。

余り面白い話ではないと思いますが、鼻くそほじるくらいしかやる事がないって方はお付き合いください。

 

 

早速本題なのですが、ゲームプレイ動画を、私自身投稿したいという気持ちでいます。

「じゃあ投稿したらええやん(完)」

とはならない理由がある。

 

その理由を自分なりに考察したのですが、おそらく、活動をやり始めた当初よりも自分が”臆病”になっているということが一つの理由として挙げられるかと思います。

 

当初は、怖いもの知らずというか、ただただ楽しいという気持ちと、その時の勢いだけで動画を投稿していたような気がします。

黒焦げの卵焼きみたいなクオリティの動画や、それなりに頑張った動画などを毎日量産しては、それをニコニコ動画にバコバコ投稿していました。

 

それこそ、「この動画投稿しよう!今から作成したろ!」なんていう天使の羽並みのフットワークの軽さを発揮していました。

寧ろ自分が「投稿したかったら投稿してみたらいいじゃん」なんていう事を言いまわってた気がします。若いですね。

 

それに”ただ楽しい”っていうのはかなりのバフで、どんなに再生数やコメントが無くても動画が作り続けられる活力になるんですね。

 

現在も動画編集自体はとても楽しいのだが、それ以上に「これは本当に面白いものなのか?」という不安が襲ってくる。

 

時間が経ってから見返すと、自分でも笑っちゃうくらい面白かったりするのだが、その領域に達することができない。

 

おそらく、下手に歳をとり過ぎたのかもしれない。

 

今はもう世の中に面白い動画と呼ばれるものが多く存在している。

それはもう夥しい数の動画が。

 

人々はその動画群を右から左へ流すように消化していくわけなのだが、その中でも目を惹く動画を作成するのは、至難の業ともいえる。

今でも数を伸ばしている人というのは、昔からコンスタントに活動を続けているか、かなりの努力をしている人達だろう。

 

才能のある人でも、新しいコンテンツに埋もれてしまう昨今で、私のようなのんべんだらりとした者がその人たちと渡り会おうなど、片腹痛い話。

 

きっと自分に作ったものにも、人を惹きつけるナニかがあるとは思うのだが、他の活動者と自分を見た時に、自分が見劣りしてると感じてしまい結果として「活動をしない」を選んでしまっている。

まぁいっぱいおるし…。

 

 

それに、私が活動をする上で臆病になる理由がもう一つある。

それは誰からの反応も貰えないことだ。

 

 

それが一番の恐怖。

後になって作品の感想を直接なりで言われることがある。けど、それはその作品に書いてくれた方が個人的には嬉しい。これは正直我儘なことだとは思う。

しかし、リアルタイムで感想を頂戴できたほうが、私的には非常にモチベーションに繋がります。

これは例え、「おもんな」とかでも、貰えないよりはマシ。これは面白くないと知ることが出来るので。

 

時間かけて作ったものが、何の反応も貰えずネットの海に漂流する様はメンタルにダメージを負ってしまう。

 

それ故に、「これ作っても誰にも見てもらえなかったらどうしよう」という気持ちになり、筆が乗らないといった状態になる。

 

後から結果が付いてくるという、そういう意見もちらほら聞いていたりするし、それについても頭では「そうだよな!」とは理解できるのですが、本当にこれは続けられるのかという不安が押し寄せてくる。

 

なんというか、臆病になり過ぎている。

 

このままでは良くないと私も思う。

そこで私は、動画投稿を始めた時のような、向こう見ずな動画作成をしていこうと思う。

これが初心に戻るってことになるのかはわからないが、何もやらず、うじうじと動画を作れずにいるよりはマシなのかなと思う。

その方が以外と純真な気持ちで動画を作れる気がする。

 

そんな感じ。

シンエヴァを見てきた話

シン・エヴァンゲリオンを見てきました。

劇場公開されて早いもので一か月が経ったので、感想をダラダラと書いていこうかなって思う。

 

単刀直入に、今回のシンエヴァはめちゃくちゃ面白かった。

シンエヴァを視聴して、自分はエヴァのこと好きだったんだなと心から思いました。

というのも、新劇場版:Qのストーリーが余りにも自分に合わず、Qを視聴してからというものエヴァ熱的な奴が冷めていた感はある。

最早、早く完結してくれとまで思うほどでした。

 

それがいざシンエヴァを見たらどうだろうか。

今、めちゃくちゃエヴァの考察とか、エヴァの楽曲とかを改めて見たり聞いたりし直している。

エヴァ熱的な奴の襲来だ。

 

 

余談ですが、劇場が明るくなった時、隣にいた二人組の男性が「次回予告って出たらどうしようかと思った」という話していた。

 

俺もそれは思った。逆に出なくて良かった。

 

 

それと、自分の中では初めての体験だったのですが、

視聴後はそこまで寂しさってのはありませんでした。

ただ次の日の朝には、もうエヴァンゲリオンを見ることはできないんだ、と一気に寂しさがやってきましたね。

 

感覚で言うと”中学校の卒業式の次の日”って感じ。

当たり前の日常みたいなものがふと無くなると、急に寂しくなるよね。

 

シン・エヴァンゲリオンという卒業式でもってして、我々卒業生は一つの作品を卒業したんやなって感じです。

これでまた一つ「さよなら、全てのエヴァンゲリオン」というセリフに深みが増しましたね。

 

そういったことを思った時、自分の中で新世紀エヴァンゲリオンって作品は結構な期間、自分の中にべったりとこべりついていた作品だったということを思い出しました。

 

 

あんなに二度目は観たくなって思っていたQも、今回の映画の視聴を機会に、あれは必要な作品だったんだなって思ったし、もう一度見てもいいかもって思いました。

 

登場人物の印象が全然違うように感じると思う。

「本当はシンジ君の事心配な癖によ!!」って思いながら見れるね!

 

後、初見で見た時、ゲンドウの独白のシーンで何故かわからないけどめちゃくちゃ泣いちゃった。

ゲンドウも怖がりなだけだったんだなっていうのと、

この男、気づくのが後14年早ければニアサーも起きずに食事会も行けたのになって思う。

それもこれもシンジ君が、今までの作品以上に人として成長できたおかげっていうのもあるのかもしれないけれどさ。

 

シンジ君は今回信じられないくらい成長してたよね。

もう前までは「シンジ君のことを幸せにしてくれ~~~」と俺の中のカヲル君が叫びまくってたのだが、

そのシンジ君が救う側に立ったの、本当になんていうかエモって感じですね。

エモエモのエモって感じですわ。エモすぎてエルモになったわね。

 

クロナミちゃんも、アスカも、ミサトさんも、マリも。

出てくる登場人物全員良い。本当に好きさが増す。

 

わーっと書いたらなんかすっきりしちゃいましたね。

おしまい。

正直言って「アサシンクリードヴァルハラ」は男同士の濃厚な絡みが見れる最高のゲームである。

前回の記事を読んでくれた人ならアサシンクリードヴァルハラの世界とはどんなものか、ということはもう既に分かって頂いてるものと思います。

 

そこで今回は、個人的に「これは神イベントでは…?」と思ったことがあったので

少しお話させて頂ければと思います。

ネタバレ成分もあります。注意。

 

この話をする前に少し補足なのだが、このゲームは性別を自由自在に変えられる。

ヴァイキングでプレイしても良い、女戦士でもいい。

そして、私は今回は珍しく男一貫でプレイを楽しんでいた。

 

 

 

それは主人公がノルウェーからイングランドにやってきて、同盟を増やしているさなかの出来事。

 

ある地域に訪れると、いずれはその地域の王となる気弱な青年が居た。

彼はその弱気から周りの人達から少し頼りない感じで扱われていた。

 

まぁ色々なんやかんやで、その青年は人間としても男としても成長し、王に就任した。

 

その披露宴の場で事件は起きた。

 

急に青年の仲間の厳ついヴァイキングが話しかけてきたのだ。

先ほどまで陽気に酒を煽ってきていたデーン人の彼が急に

「俺の剣術を見せたい…種を蒔く剣の」

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「?????」なんだこいつ。

前述したとおり、自分のプレイアブルキャラクターは男だ。

 

そこで選択肢が出た。

 

「♡寝たいんだろ?」

 

寝たいんだろ?じゃないんだわ。

確かに男も女も自由に変更できるが、こちらとしても、その、なんですかね。アレです。

 

とりあえず「寝たいんだろ」を選択しました。

 

その瞬間、主人公が「いい種を蒔く剣は希少だ」って言いだした。

厳つい男が、渋めのいい声で、おっさんのめちゃくちゃ至近距離で。

 

口説きヴァイキングは頷き「もっと居心地のいい場所に行こう」と移動を促してきた。

移動した先は、歩いて五歩くらいの所。

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びっくりした。

 

いや待ってほしい。

もっと教会の裏に行くとか、屋内に行くとかあるじゃんよ。

なんで外なのよ。しかもよりにもよって式場がすぐそこなのだけど。

 

時はまだ夕刻。辺りには人も多くいる。

っていうかほぼ街中だ。

 

そんなプレイヤーの声も虚空に消え、二人の男はよくわからない場所で壁ドン気味に熱いキッスをし始めた。

 

 

そして、カメラが下からぐいっとパンして映像はフェードアウトした。

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「ああ…」じゃないんよ。

 

そしてピロートークが始まり、急に相手の名前を呼ぶという選択肢がでた。

 

なんで?

 

対戦をしてくれた彼は「ブローダー」という名前なのだが、その選択肢の意味がわからず、ブローダーの兄弟の名前を選んでしまったのだ。

 

もうめちゃくちゃ。

 

勇気を出して誘った相手から名前を間違われる、

こんな仕打ちがあるだろうか。

余りにもブローダーが可哀想だ。

 

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そりゃこんな顔にもなるよ。

 

 

このように、主人公のキャラクターの性別によっては意図しない神展開になる。

勿論女性とそういう関係になることも可能で、主人公の性別が女性だったらば、濃厚な百合を見ることができる。(あらぁ^〜)

 

しまいには義兄の嫁(つまり義姉)が好意を持ってくる。

男性キャラであった場合、ただの寝取りで済むが、これが女性キャラであった場合、寝取り+百合+姉妹といった薄い本も広辞苑並みに分厚くなりそうな展開になるわけだ。

 

 

凄いなアサシンクリードヴァルハラ。

 

 

そんな感じで、自分だけのヴァイキング生活を謳歌してみてはいかがでしょうか。

アサシンクリードヴァルハラで歴史に興味を持った話

かれこれ10年ちょっと、アサシンクリードASSASSIN'S CREED)という

ゲームが好きなのだが、今回はそのゲームについて思ったことを話していきたいなと思います。

 

アサシンクリードシリーズとはどういうゲームなのか、簡単に言うと、プレイヤーは各時代のアサシンを操作して各時代の悪者達を倒すって感じの大人気ゲームなのだ。

 

このゲームの魅力は様々。

・アクション性

・ストーリー

・キャラクター

・時代背景 etc.

 

 

まぁストーリーが良く分からなかったり、システム面があれだったり、

「もうこれアサシン関係無いじゃん」なんてことはしょっちゅう思いますが。

 

因みに、歴史追体験ゲームかと思いきや、かなりガチ目なSF作品だっていうのも面白い所ですね。

 

 

アクション性やストーリーは別の機会に話ますが、今回ブログの記事にしたいなって思ったのは、このシリーズをプレイするとその舞台の時代についての知識欲が深まるなって事。

 

アサシンクリードって、ナンバリング毎に舞台になる時代が異なります。

一作目は12世紀のエルサレムだし、2作目は15世紀のイタリアが舞台だったりします。

勿論、実在の人物も登場して物語の重要な役割を持っていたりもします。

アサシンクリード2では主人公の協力者として

レオナルド・ダ・ヴィンチが登場します。) 

 

そんなシリーズの最新作であるアサシンクリードヴァルハラ(Assassin's Creed Valhalla)』 は9世紀のヨーロッパが舞台。主人公はなんとヴァイキング

 

ぶっちゃけた話、発売されるとなった時「ヴァイキング…?」とはなった。

 

私自身、ヴァイキングに対しての興味も知識も全くなく、「アサシンクリードの新作が出るしとりあえずやる」の精神でやっていました。

 

十字軍時代のエルサレムなんかは「ダ・ヴィンチコード」とかでも題材に挙げられるし、15世紀イタリアはルネサンス期。授業とかでも勉強する。

なのでナンバリングによっては、詳しくは知らないけどちょっとだけ知ってるかも、みたいな状態で臨めるけれど、ヴァイキングについては知識0、無の状態でした。

 

しかしながらプレイを進めていくにつれて、その時代について知りたいなって気持ちがどんどんと強くなっていきました。

そこがアサシンクリードの凄いところなんだ。

 

その時代の文化や風習、国の情勢を深く知ることで、ゲームのプレイが更に有意義になるし、没入感もグッと高まるってわけよ。

 

 

それもこれも、アサシンクリードというゲームの再現度の高さにあると、私は思うわけ。

 

制作陣のリサーチとゲームにそれを反映する拘りがとても凄い。

自分は現地に行った事はないけど、行った人からすると再現度高いって話をききます。

 

 

 

そんな再現度高いゲームを奥深くまで味わい尽くしてぇよな~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~!!

 

 

 

ということで、少しだけ情報収集を始めたのでアサシンクリードヴァルハラをクリアする頃にはヴァイキング博士になってることでしょう。

 

因みに北欧神話のミッションもあるので北欧神話についても理解を深めたいですね。

 

よろしくお願いします。

全ッ然長続きしなくて困っています。

最近の悩みなんですけど、何事にも長続きしなくて困っています。

 

始める前や、始めた時ってのは

「おっし!!!!!!!!!!

俺は今やる気満々だぞ!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!

今回こそはやってやる!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!」

っと馬鹿みたいに意気込んでいるのですが、

少し経つと「ああ、そんな時期もあったなー(笑)」みたいな

ちょっと痛い高校生みたいな事を言っています。

 

「もう一つの人格を有している?」

「週ごとにで中身の人変わる?」

「なんだお前は。」

そんな疑問があちらこちらから聞こえてくるようですわ。

 

危うく、このブログも次の更新が2022年の一月になる所でした。

 

しかしながら、何かしらを何年もやり続けてる人ってのは本当に凄いなって思います。

 

YouTubeとかでよく”毎日動画投稿”みたいなのをやってる投稿者の方を見ます。

私からすると凄いの一言ですね。

 

昔は、私も毎日とは言わずも、定期的になにかをしていました。

 

動画投稿や、生配信を。

活力が漲って、その活力をやりたいことに全て費やしていたような気がします。

 

しかし、今はどうだ?

何も長く続いていないじゃあないかッ!

 

周りの友人、知り合い、目につく人々、

多くの人が継続という力を手にしているのを見て、

私も何かを継続してやっていきたいなって思ってます。

 

とにかく、一か月は続けると人はそれがルーチンになるので、

頑張っていきたいと思います。

 

継続は力なり。

 

 

POWER

 

 

そう、です。

 

 

継続していくことで得られる強大な力を、私は手にしたい。

 

その力さえあれば、私はこの世界を思うがままにできる。

それが私の悲願。

 

 

継続こそが が喜び。
ける者こそ 美しい

 

さあ が腕の中で 息絶えるがよい!

 

2021年ですね。

あけましておめでとうございます。

 

「ブログを開設しました」という記事を書いてから2年が経とうとしております。

 

その間に私が書いたブログ記事はなんと、0!

1という数の前の数字、あの0です。

 

この2年、全く書く気がなかったわけではなく、いくつかの記事を書いていましたが、「後で続き書こう」と思い放置した下書きが数件あります。

 

しかし、今年の私は違うということを初めに申しておきます。

 

今までは「他人が見るかもしれないし…」という気持ちで、少しでも面白いと思って貰えるようにという風に考えてました。

 

でも私は面白い人間ではない為、取り繕うことは辞めて、肩の力を抜いて記事を書こうと思います。

 

って思って一個目の記事を読みましたが、全く同じ事書いてありましたね。

なんですかね、年の初めってそういう気分になるんでしょうかね。

 

私はぶっちゃけそういう気分になります。

新しい年は気持ち新たに初めたいじゃんね。

よくある「今年は飛躍の年に!」みたいな気分になります。

 

っていうか飛躍ってなんですか。

漠然と「飛躍するぞ!」って言っても、漠然としすぎて宇宙空間に飛び出る感覚です。

それすなわち、死。

漠然と宇宙に飛び出すのは死んじゃうんです。

だから軽率に飛躍するなんて言うもんじゃないんです。

 

 

話が逸れましたが、なにが言いたいかというと、継続はかなり大事だということです。

昨年嫌というほど思い知りました。

 

なので2021年の目標は「継続」です。

でもあわよくば「飛躍」したいです。

 

因みにTwitterでは「ミスを引き摺らない」「意欲的に活動する」「月2冊本を読む」、この三つの目標を掲げましたが、これも総括すると「継続」ですね。

 

ここまで読んだ方、今年もよろしくお願いします。